●歯医者へは半年に一回は行くべきなのだが、今回は一年以上空いてしまった。それでも歯茎の状態に問題はなく、歯石除去も一回で済んだが、虫歯ができていたのが予想外だった。何年ぶりだろう。奥歯がひん曲がって生えているので、掃除が行き届かないのも無理はないと言われた。すぐ治療してもらった。やはり半年に一回でも少ない。

●年一回の通院でも歯石が一度で取れるほど少ないのは、パナソニックの口腔洗浄器を使っているからだと思う。バッテリーに寿命があるので、いま使っているもので三代目だ。二年半に一回ほど買い替えている計算になる。口をゆすいで何も出なくても、これを当てると食べ物の滓がボロボロ出てくる。毎食後と寝る前に最強の水圧で当てる習慣だ。歯茎のマッサージ効果もある。おかげで市の検診で500円払って歯周病健診を受ける必要もなくなった。

●ホエイプロテインを朝と夜の一日二回、付属の計量スプーンに山盛り一杯ずつ飲む。朝はコーヒー、夜は青汁に溶かして、ビタミンや必須ミネラルのサプリと一緒に飲んでいる。サプリの効果は十分なタンパク質を摂取してこそだという命題の真理性は身体で実感している。きっかけは数年前、母が病気をして、手術して治ったのだが、体調が劇的に悪くなり、血液検査の結果も問題ないのに体調が回復しないのはなぜだろうと不思議がっていた頃、藤川徳美医師の著作に出会ったことだ。昔薬局に勤めていたくせに極度の薬剤忌避気質で粗食こそが体にいいと思い込んでいる母にプロテインやビタミンサプリを飲むよう説得するには読書体験の力を借りる以外ありえなかった。今では私が先に死んだらどうしようと本気で心配するほど元気なので、私のほうがもっと飲んでいる。

●大雪の中、昨日は選挙だった。一体誰がなぜ自民党の候補者に入れたのか単純に不思議だ。政党ではなく個人に入れたのかもしれない。だとすればこれから法案を通す際、自民党の議員には個人として行動してもらわないと困る。

●主観的に国を壊滅させようと思って行動している政治家はいないはずだ。傍目にどう見えようとも、いい国を作ろうとしているに違いない。以前にもここで紹介したと思うが、『脱属国論』という鼎談本がある。「事実として戦争ができてしまうにもかかわらず、それを裁く国内法体系が9条があるために存在できない」という現状が問題で、これを適切に改正することが国際社会に対して責任を取ることだという要の主張はKindleだとサンプル部分だけでタダで読める。ドスを持ったヤクザだろうが竹ヤリ装備の国防夫人だろうが国家の自衛権の行使に使われた瞬間「交戦主体」とみなされ、国際法上の扱いは軍と同じになる。だから自衛隊は軍隊ではないなどと言い訳しても、まったく何の意味もない。

PKO(国連平和維持活動)など自衛隊が海外派遣された現場、あるいは日本近海で不審船が出没し防衛出動することになった場合などに、自衛隊が武力を行使すれば、その瞬間に自衛隊は交戦主体すなわち軍とみなされます。当然、自衛隊は国際人道法に則った行動を期待されます。もしも違反行為、すなわち「戦争犯罪」をおかした場合、日本は国際社会の中の一国家として、自衛隊を国内法で起訴し、裁判にかけることが求められます。その責任能力を国際社会は「主権」というのです。(中略)自衛隊がもし現状のまま、海外派遣先で、もしくは日本近海への防衛出動で他国の軍隊と「衝突」し、その結果、戦争犯罪をおかしたと相手から訴えられ、国際法による裁定となって、日本に戦争犯罪を裁く法律がないという「法の空白」が発覚したら、前代未聞の外交問題になります。

●私は今は憲法改正賛成派だが、だからといって自民党支持なわけではないし、変な風に改正するのは大反対だ。

金川信亮

脱属国論
伊勢﨑 賢治
毎日新聞出版
2019-04-20

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 城崎の街を貫いて流れる川の名前など「豊岡もん」は知らなくて当然だった。今はインバウンド需要の増加によって逆輸入で知っている。諸外国での日本のアニメ人気に乗じたにわかアニメファンみたいなものだ。城崎と豊岡が2005年の合併によって同じ豊岡市になったことの影響は、住民の共同体帰属意識に関して言えばほとんどないと思う。私はこの地へUターンしてきてほぼ9年が経っているのだが、城崎が街を挙げて10月の14・15日にとんでもない喧嘩だんじりの秋祭りをずっと開催していることを知ったのはほんの2年ほど前だ。まあコロナによる中止もあったそうだし、城崎の住民自体が秋祭りを自分たちのためのものだと位置付けていて、観光客や他地域の住民のことなど全く眼中にないせいもあるのだろうが。
 豊岡地域の秋祭りは10月の今ごろの土・日に開催されている。以前は城崎のように曜日関係なく日を決めて行われていたが、仕事があって土日でないと参加できないという人が増え、いつの間にかそうなった。わが高雄区ではここ数年、土曜日の1日だけの開催が多い。今年もそうだった。区民10人ほどが朝9時半に集合し、倉庫からだんじりを出して組み立て、一旦解散して午後1時半に再び集合し、缶ビールや御神酒を飲みポテトチップスやちくわを食べて景気をつけたあと、徐ろに区内を巡行する。かつぐのではなく、車輪がついただんじりを押してゆっくり歩くだけである。一升瓶を持ってきてくれたり「粗酒料」を包んできてくれたりする店の方、住民の方の家の前では停止して三三七拍子を打つ。今年は永らく子供がひとりもいなかったわが区にも、転入のおかげでなんと6人も子供が増えた。その子たちも大人と一緒に太鼓を叩いて巡行した。夕方4時に巡行を終え、再びだんじりを解体し、倉庫にしまい、4時半には完全終了、撤収した。巡行中に他区のだんじりに会うことはなかった。

 日本の観光地はどこも箱庭みたいで、雄大なスケールというものに乏しく、こぢんまりしてコンパクトで、映画のセットか作り物のようだ。城崎もとくにそうで、私は通るたび、こんなところに人が住んでいるのだろうかと訝る。川沿いの中心街から一歩奥に入れば住宅地があるのだろうとも思うが、全く見えてはこない。
 街並みの美しさも、あまり私には訴えない。子供の頃、私は外界を見ていず、自分の中だけを見ていた。それは社会人になって仕事をするようになってから解消したと思っているのだが、そういうことは今に至るまであとを引いているのかもしれない。六年も通った小学校にしても、授業風景など本当に何一つ記憶にない。自分の中だけを見て、よくコミュニケーションがとれていたものだ(とれていなかったのかもしれないが)。竹野の海の青の美しさを絶賛する人が多いが、私は「そうかぁ?」と思う。もっとも子供の頃、海水浴と言えばもっぱら蒲井か小天橋だった。久美浜は県が違うとはいえ城崎より近いのだから、竹野浜よりは尚更近い。

 津居山・気比・瀬戸などを含む港村は1955年に豊岡市へ編入されて港地区となったが、豊岡市ではなく城崎町のほうへ編入される話もあった。そっちのほうが地理的にも近いし自然だったと思うのだが、いろいろな理由からそうはならなかった。一つには、感情的な対立である。それは公式記録からは確認できないが、そういう記録を全く残さないところが城崎の悪い意味での頭のよさなのだろうし、そういう点に港が反発したのだとしたら、無理もないことだと私は思う。津居山出身者と城崎出身者で結婚した夫婦の息子に私が聞いたところでは、子供の頃から両親にさんざん両者の仲の悪さを聞かされて育ったそうで、この問題は根が深い。最近は余所からの移住者も増え、なぜこんなに確たる理由もなく(と見える)絶妙にいがみ合っているのか理解できないようだ。「津居山のかにあってこその城崎じゃないですか」と、至極当然のことを言う。この問題は中学校の統合という身近で現実的な案件にも及び、部外者にはさっぱりわからない理屈で議論の場は紛糾する。もちろん「豊岡もん」にも感覚的に全くピンとこない。


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 たんしん演劇部『金庫よ、信用にあたれ!』が一番よかった。自分はああいう俗なものが案外好きなのだと改めてわかった。実際の金融機関を舞台にして、気の弱い強盗と、これは訓練だと思っている職員との齟齬のドタバタ劇から、最後は現実とリンクした感動のミュージカルに高まって涙のうちに幕が下りた。今ここでしかありえないサイト・スペシフィティと、いつでもどこでも再演できそうな汎用性の高さが見事に両立されていた。30分という上演時間も、内容がギュッと凝縮されていて短いとは思わなかったし、三人というメイン出演者数も、これ以上でも以下でもありえないと思えた。あんな特殊な場所なのに、空間の使い方にムダも不足も全くなくて申し分なかった。まず脚本の段階で完璧だったのだと思う。

 んまつーポス×Unlock Dancing Plaza『今日という日が一番若い日』は前日のリハしか観れなかったが、もしも本番を観ていたらこれが一番よかったかもしれない。60歳以上のシニアを公募して、2チームに分かれて一週間で作ったダンス作品。最初は動きが明らかに高齢なところがいいのだと思った。しかしよく観ると鈍重でも稚拙でもない。思いの適切な表れがある。顔の表情も皆さんすばらしい。5歳の子供たちが一年レッスンして作ったダンス作品よりも高齢者が一週間で作ったそれのほうがアートプロパーの観点から見て良い。それはやはり数十年の社会人経験によって表現のベースができているからだと思う。磨けば光るのは子供よりもむしろ老人だという持論を確認できた。

 餓鬼の断食『STUDY | 修飾を歓迎する環境←→拒否する身体』はちょっと別格的によかった。舞台芸術の上演概念を塗り替えられた経験に対して「能を初めて観た西洋人のように」という比喩は手垢にまみれているかもしれないが、鳴り物(ドラム)が激しく鳴っている横で出演者たちが微動だにせずすり足で動いて舞台上に緩急別の時間が流れていたり、台詞が異次元にスローだったりするところは形式的にも能だし、後日のアーティストトークでも演者側が「ダンスでもない、会話劇でもない、演奏でもない、これは一体何なのか教えてほしい」とわりと真面目に訴えていたことからも上演概念を刷新された上演だったことがわかる。

 この演劇祭では毎年何かしらの新機軸を打ち出そうとされていると思うが、今年は一般の方々の参加を増やすよう意図されていた気がする。ボランティアスタッフという形態ではなく、地域住民をもっと巻き込んで共創しよう、当事者になってもらおうという主催者側の意識が見えたし、われわれもそれによく応えていたと思う。

 あとは、個人的には今回はいろいろなところへ行こうと思っていた。アクセスの良い街中だけでなく、こういう機会でもないと行かないようなところへこそ行きたいと思っていた。だから新温泉町へも養父へも朝来へも行ったし、むしろもっと山奥の秘境のようなところのほうが良かった。車で一時間で着けてしまうのなら物足りない。今更この演劇祭でアクセスの悪さを云々しても始まらないので、逆張りされた方が観客は喜ぶのではないか。


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 稀にレンズが欲しくなる発作が起こる。普段は何とも思わないのに。沼とは無縁のつもりでいるのに。
 今回はZ5に装着する焦点距離35㎜のいいレンズが欲しいと思ってしまい、検索して、¥35,100のマウントアダプタMegadap ETZ21 Pro+と中古良品¥29,800のタムロンf2.8ハーフマクロ(Model:F053) 計¥64,900がコストパフォーマンスいいんじゃないか? ソニーEマウントのアダプタを持ってれば選択肢増えるし、と馬鹿なことを考え、いやせっかくニコンのボディを持ってるんだからNIKKOR Z 35㎜ f/1.8Sだろう、ほぼ新品が¥81,000で出てるぞ、とさらに馬鹿なことを考えたが、ヤフオクでヤシカML35㎜f2.8を送料込¥6,488で落札して事なきを得た。ヤシコン→Zのマウントアダプタなら持っているのだ。この手のレンズはオートフォーカスでないことがネックだと思ってしまいがちだが、決してそんなことはない。フォーカスピーキング機能で合焦しているところは一目瞭然だし、さらに35㎜の被写界深度がある。どんなに高速な自動合焦もスピードの点ではピント目測に敵うまい。……と思っていたら、届いてみると、同じヤシカMLの50㎜f2は凄いのに、この35㎜は大した写りではなかった(少なくとも自分の好みの写りではなかった)。初期型とか後期型とかいろいろ難しい区別があるようだし、やはりオールドレンズ中古市場に素人が手を出すと失敗は避けられない。値段が安くて深手を負わなかったのが不幸中の幸いだが、とはいえ塵も積もれば山となる。やはり多少高くても気に入った写りのレンズを買ってずっと使うのが結局一番安上がりなのではないか。というわけで有名なコンタックスGレンズにも28㎜や45㎜や90㎜だけでなく35㎜があることを調べ、Planar T*35mmF2とマウントアダプタTECHART TZG-01の組み合わせを考えた。前者が中古で¥65,000ぐらい、後者が新品で¥39,600、しめて¥104,600ぐらいである。高いけどオートフォーカスできるし小型軽量だし見かけもかっこいい。などとまた血迷ったことを考えたが、あのマウントアダプタはもともとGシステムを持っている人が買うものだろう、そのためにわざわざ中古レンズ込みで購入するものではない、と思い直し、すんでのところで助かった。人はどこまで馬鹿になれるものなのか。ここまで読んでいただいた方にはおわかりだと思うが、私は富岡光学製のレンズを信用している。REVUENON-SPECIAL 35㎜ F2.8という初めて聞くM42マウントのレンズをヤフオクで発見し、これが富岡光学のOEMらしいので、¥15,000というまあまあの高額だったが落札してしまった。M42→Zのマウントアダプタなら持っているのだ。届いてみると(みなさん実に迅速に発送していただいてありがたい)、出た絵が手持ちのヤシカML35㎜と全く区別がつかない。F値も同じだし、これはひょっとして同じレンズなのではないか。人はどこまで馬鹿になれるものなのか。しかし今度はEBC FUJINONのふわっとした写りが気になって35㎜f1.9やf2.8を探し始めている。これもM42マウントなのだ。¥7,000ぐらいで何とかならないだろうか。しかし運よく見つかったとしても三個目で計¥28,488の出費になる。レンズの写りの好みだの凄い描写だの何だのは部屋の中でちょっと試し撮りしたぐらいじゃわからないのに、朝・昼・晩・屋内・屋外といろいろな光の下で試してみもしないで、やれこれはダメこれは期待外れだと文句を言うこと自体が間違っている。35㎜をこれ以上買うのはやめた。でもFマウントなら今ものすごく安くなっている。85㎜f/1.8Gを¥27,980でぽちってしまった。今日届くので楽しみだ。人はどこまで馬鹿になれるものなのか。(部分的にフィクションです。)


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 私が数年前に軽度の脂肪肝だと診断されて以来、夕食に精製糖質(白米、小麦粉、砂糖)を食べるのをやめた話は以前ここにも書いたことがある。朝食と昼食ではある程度食べるのに、なぜ夕食だけやめるかというと、遅い時間に摂った糖質はエネルギーとして消費されにくく、余剰分が脂肪として蓄積されやすいと言われているからで、それが脂肪肝の一因とも考えられているからだ。私の場合、やめた途端に数値は改善し、それだけでなく体重は7㎏、腹囲は10㎝減り、なんの苦労もなくすっきり健康的に痩せた効果が大きい。だいたい日本人は米を食べすぎである。あれは人類史に革命を起こした物凄い高カロリーの食品なんだから、摂るならちょっとでいいのだ。茶碗に山盛りのご飯をパクパク食べるのは、たとえて言えば、同じく茶碗に山盛りの砂糖を匙で掬ってパクパク食べるのと同じようなものだ。
 最近もう一つ気づいた効果は、米を食べずにおかずだけ食べていると、塩分の量に敏感になることだ。ささみフライや肉団子など、どこのスーパーでも売っている既成の冷凍食品のようなものをご飯なしに食べると、こんなに塩辛かったのかと驚く。ご飯があると気づきにくいが、直接口に入れるとそのとんでもない濃さがよくわかる。絶対に体にいいわけがない。
 それで思い出したが、以前東京に住んでいて小金があった頃、よく清澄白河の興隆菜館という中華料理店にひとりで入り、薄いチューハイ一杯だけで一品料理を二つほど頼んで食べていた。そんなに高くないし何を食っても物凄く美味い。どうも日本人というものは、料理は主食である白いご飯の副食だと思い込んでいるフシがあり、せっかくの美味い料理をご飯で薄めてだいなしにしてしまうようなところがあり、それはあちらの料理人もよくわかっていて、半ば諦めているようでもあるのだが(日本人が餃子をおかずにご飯を食う異様さは炒飯をおかずにご飯を食う異様さを想像してみればよく解る。とはいえこれは味の濃い薄いではなく炭水化物の重複の話だから論点が違うか)、私がいつも一人でフラッとやって来て日本人離れした注文の仕方で料理だけを楽しんでメチャクチャ美味そうに食べていくので(目をつぶってうんうん頷きながら半笑いで食べていた)珍しがられていたかもしれないが、ひょっとしたらこれこそがまともな客だと思われていたかもしれない。美味い店の美味い料理はおかずだけ食べても味が濃すぎることなど全然なく、それそのものの味を楽しめる。


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 結婚に全く興味がないと言うと「そうは言ってもずっとひとりで生きていくわけには行くまい」などと言われるのだけれど、七〇歳ぐらいになっても生きていて、なおかつひとりだったら、そのときは結婚を考えてみてもいいと思っている自分に気づいた。このラインを四〇歳ぐらいに引いている人なら世の中にたくさんいるだろうから、年数が違うだけで、結婚観の方向としては自分は全くのマジョリティに属している。
 なぜ七〇歳かというと、その年齢になったらいつなんどき心臓が止まっても不思議ではないので、誰かと一緒に暮らして相互監視したほうがいいような気がするし、ほかにもメリットがないでもないような気がする。行政が現在とりくんでいる婚活パーティーのようなものは子供を産んでほしくてやっていることなので、そんなグロテスクなものが長続きするわけがない。二〇年後はもっとシンプルに当事者の幸せだけを考え、見返りがないと何もしない行政主導ではなく民間で、老人婚のあっせんや相互紹介が普通のことになっているに違いない。

 冒頭の「そうは言ってもずっとひとりで生きていくわけには行くまい」という論難に対する、完璧な応答である。なぜこれに今まで気づかなかったのか。

 去年ぐらいから私は安くない受講料を払って岸井大輔のアートに関するレクチャーを受けている。私は職業的なアーティストではないし、仕事でアートに関わっているわけでもなく、アートを学んでいる学生でもない。それなのになぜアートに関する講義を受けているのか? 寺の住職だから? それもゼロではないが、そんなことよりももっと大きな動機がある。それは日本社会の高齢化だ。
 自分が年を取って頭が働かなくなっていくということも含めて、日本の高齢化はやばすぎる。高齢者というものはほんのちょっとの違いで肉塊のような屍になったり神仙のような老賢者になったりするので、本当に支援が必要で効果的なのは子供や若者よりも高齢者こそだ、子供や若者は放っておいても勝手に学ぶ(周囲に子供がいなくて高齢者だけがいるとこういう考え方に傾くが、子供や若者がそんなにフレキシブルな存在ではないことは高校の先生などが痛感している通りだ。ここではあえて極端なことを言っている)。このままだと最悪、屍のような高齢者が日本にどんどん充満していき、社会がにっちもさっちも行かなくなるのは必定だ。
 誰でも高等数学や物理学の問題を解くのが大好きでワクワクするというわけではないので、万人がヘヴィーに頭を使ってしかもワクワクする対象はアートしかないというのが私の直観である。自分でレクチャーするのは難しいかもしれないが、読書会ぐらいは主催したい。(私は岸井さんの講義を受けるようになってから読書力も思考力も格段にUPした。やはり頭も筋肉で、筋トレはいくつになっても効果がある。)

 だだっ広くてスカスカな田舎でアートフェスティバルをやるという前人未踏の領域へ切り込んでいくのは、肉体が朽ちていく高齢者へワクワクするアートを提供するようなもので、過疎地と老人は構造的にアナロガスなので、全国どこでも(時間的にも空間的にも)アクチュアルなテーマになっている。せまい領域に大人数が集まってワイワイやるのがフェスの楽しみの基本形なので、それとは全く違うものを、というと、人間の歴史や伝統、もしくは人間と隔絶した大自然の景観を取り入れることになる。


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 権威ある賞を受賞し、定期的にイベントを打ったり、継続的なサポーターを集めたりして、この田舎では稀に見る華々しい成功を収めていると思っていたので、(一社)ケアと暮らしの編集社の全事業活動停止は寝耳に水だった。メインの活動拠点であるだいかい文庫は全国的にも有名で、最近はフロアを拡張したりもしていた。しかし、いくら格安で借りられているとはいえ、大開通りは豊岡の一等地であり、家賃の負担は軽くはなかったのだろうか。
 地域のために活動している法人がみんな家賃のせいで潰れていくとは思いたくない。もしもそうなら、最近軌道に乗りかけているまちの基地アンテナも危ないということになりかねないし、夢も希望もない。竹内ミズキ個人所有の一軒家を使った江原のオモテ屋のようなシェアスペースのあり方が示唆するのは、まずは家賃のかからない拠点を確保するのが田舎のコミュニティの持続可能性にとって不可欠かもしれないということだが、家をタダで貰うというような幸運がそうどこにでも転がっているわけではない。
 現代社会における伝統仏教の寺院が「ただ在り続けること」に全振りして、すべてのリソースをそれに費やしていることが参考になるかもしれない。寺は最近、一般の生活者にとっては縁遠く感じられる存在になり、こういう状況を打開しようと、いろいろ仏教とは関係のないキャッチーなイベントを打ったりするところも少なくないが、それは対処療法に過ぎない。華々しい活動を何もしなくても、ただ在り続けるだけでも大変なことだ。もちろんこれは寺の運営者の個人的資質にも拠る。世の中にはイベントの企画・運営に無限のよろこびをみいだしたり、ロビー活動が三度の飯より大好きだったり、息をするようにファンドレイジングしたりする天性の居場所プロデューサーのような人が確かに存在する。しかし少なくとも私にとってはこれらのことは(少なくとも金銭調達と集客に関わることは)ストレスの元でしかないし、無理をすることはないと思っている。運営者が潰れてしまっては元も子もない。だから私の預かる寺ではこの九年ぐらいで片手の指で数えられるほどしか一般向けイベントを開催していないし、それらの参加者も多いときでも一〇名ぐらいだし、金は本当に全く使っていない。ただ、これらの数少ないイベントをきちんと記録してアーカイブ化し世に問うのは楽しいし、そういう努力はしてきた。
 寺院としての本分である定期的な法要のようなものでも、昨今の異常気象を鑑み、昔から決まっていた日程をずらして、酷暑の時期を避けて厳修する寺も多いと聞く。しかし私はそんなことをしても一〇年、二〇年単位ではまた気象が変わるので、いちいち変えないほうがいいのではないかという気がしている。
 さまざまな団体がミッションを掲げ、世の中のためになる活動をこそしたいと活動している。そういう人たちから見ると、何もしないでただ在り続けても仕方ないと思うだろう。継続と、内容のある活動とのトレードオフ。無理をしなくても、自然体で後者に適した人、前者でしかない人。 


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 作家が作家の話を傾聴すると影響を受けるからよくない、という考え方はありうるし、実際、作り手ではない私のような者でも、この三日間、竹内ミズキの話ばかり聞いていて、これは影響を受けすぎて平衡を失するからもっといろいろなものに接してバランスを取らなければならないとは感じた。
 もちろん内容による。たとえば全但バスの活用方法の話だと、いくら聞いていても面白いだけで、影響を受けることによる危機を感じたりはしない。しかし六〇年代アングラ演劇の話だと、聞いていて、うまくまとめているとは思うものの、自分ならこうはまとめないだろうという思いがあり、かつ、その自分のまとめが彼のそれよりも堅くないので、どこか侵触されているように感じる。前者は自分とは無関係の話(だからバス会社のコンサルのような人がこの話を聞くとストレスを感じるはずだ)、後者は多少なりとも自分と衝突する話。
 おそらく作家がほかの作家の影響を受けすぎることを警戒する気持ちは、この後者のような侵触が人格全体を蔽ってなされることに起因するのであり、したがって、その気持ちは当然のことと言うほかはないが、しかしそれでも若い作家には今回の合宿のようなものにはもっと積極的に参加してほしかった。影響を受けるからよくないというよりも、影響を受けることでもっといろいろなものに接して中和しなければならないと思えることが重要で、だからそれは「いいこと」なのだと思う。
 私は岸井大輔のレクチャーを受けたあとも同じような気持ちになる。岸井さんの美学は閉鎖系で、その中だけですべてが説明できるように構築されており、良くも悪くも岸井さんなりのチャート化であり、スタンダードなものでは全くない独自のものだと私は思っている。(この点では今回のミズキさんのパフォーマンスレクチャーも全く同じである。自分でいろいろなところへ手を伸ばし、得たものを組み合わせて文脈化・チャート化し、提示している。教科書丸写しでは全くない。)だから曲がりなりにもスタンダードで伝統的な美学の継承発展のほうに興味を持っている私は岸井さんのレクチャーにどっぷり浸ったあとは「それだけじゃないだろう」という気持ちになり、別方面の読書に没頭することになる。Aに対する非Aの契機はいつも重要である。私は岸井さん的ならざるもののほうに興味を持って岸井さんの講義を受けているが、岸井さん的なるものに興味を持って、アートの現場で使える美学を身につけたいと思って岸井さんの講義を受けている人にとっても、岸井さん的ならざるものの契機は重要である。だからみんなで花田清輝、岩山三郎、湯浅泰雄、チェスタトン、フロム、E・カッシーラー『啓蒙主義の哲学』、シュルレアリスム(マルクス+フロイト)、澁澤龍彦、etc...を読みたいし、生涯を賭けてこのリストの項目を増やしていく。


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 14時過ぎ着で、江原オモテ屋へ。15時半からのダムタイプ『s/n』上映&感想会準備のため。掃除など手伝うつもりだったが、設営ぐらいしかやることがない。スクリーンがないらしいので、自分のを貸すため、竹内ミズキと同乗して車で真光寺へ往復、オモテ屋へ帰ると三人集まっていた。音が出ないトラブルのため一時間ほど遅れてスタート。
 ミズキさん5期生へめっちゃ喋る。後輩へ教えるよう心を入れ替えたらしい。
 共産主義や冷戦の歴史に関しては彼なりにチャート化して理解しているので、別の見方の余地もある。たとえば自分は共産主義の運動はコスモポリタニズムに過ぎなかったと思う。共産主義者の主観としてはナショナルなものをうちに取り込んだインターナショナリストのつもりだったのだろうが(なにせ組織名がインターナショナルだ)。コスモポリタニズムという言葉もいい意味で使われたり悪い意味で使われたりするが、ナショナルな、土着なものを無視した単なるうわべだけのコスモポリタンという軽薄な意味を帯びて使われた時期が長かったので、同じことを世界市民と言って、別の文脈の中に置き、別の意味を帯びさせて使うのが昨今の美学のトレンドだ。
 そういうことは新入生にはわからないと思うので、せめて唯物史観の公式ぐらい説明してから語るほうが親切だ。唯物史観の公式は普通に生きていたら資本主義国内の学校教育の中で接することはないし、高校時代、この公式すら知らずに世界史の授業を受けていたのも今思えば無謀なことだった(それは海図もコンパスもなしに航海するようなものだ)。この公式は岩波文庫のあの薄い本『共産党宣言』を読めばわかる。要は人間の歴史は段階的に発展していくという史観である。生産力と生産関係の矛盾を原動力として、原始共産制社会から古代奴隷制社会、中世封建制社会、近代資本主義社会と発展してきて、次に来るのが社会主義社会だというこの史観は、既定路線としての説得力を持っていた。単純なものの持つ強さがあり、一つの社会からもう一つの社会への歴史的転換点に立っているという革命への憧れを鼓舞し、同時に、思想界ではこの雑な見方に反発して数多の流派が発生した。
 もっともこの古い見方がどこまで常識となっているのか知らない。大学の先生の中にも知らない人は多いような気がする。大学教授なら当然知っているだろうというつもりで話さないほうがいいような気がする。それほど冷戦は長かった。

 流れで、買い出しに行って、米を炊いて貰い、夕食のテーブルを囲んだ。FMジャングルの豊岡市長選開票速報を聞いていたら、まだ三候補者とも同数なのに、神戸新聞からいち早く門真さん当確速報が出た。それでみんなで開票現場へ確認しに行った。

 現職の再選をどうあっても阻止したい人たちが、自分自身は前野さん支持だけど、前野さんじゃ勝てないからと門真さんに入れた。それによって門真さん一万五千、現職と前野さんがそれぞれ一万という票構成になった。もしも前野さん支持の人たちが全員、前野さんを信じて素直に前野さんに入れていたら勝っていた。それほど競っていた。
 現職と前野さんの一騎打ちだったらまだわかりやすかった。現職再選を危惧した勢力が門真さんをかつぎ出したことがそもそも小細工の始まりだ。門真さんは政策的には何がしたいのかサッパリわからないので、一万五千人の内訳は現職も旧中貝派も大嫌いか、中貝派政策支持だが勝てないと最初から諦めて現職を落とすほうに振ったかのいずれかしかない。いやこのほかになんとなく入れたというふんわり派があるか。小細工を弄して考えてやったことは大抵裏目に出るのが真理だ。もっとも安パイを狙っただけなら成功で、祝杯に値する。


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 葬儀へ向かう車の中では8 1/2のサントラを爆音でかける。今回は吹雪の中、ほとんど見通しのきかない白いトンネルのような朝の道を、遅れそうだったので爆速で飛ばしていた。前日の朝には38度8分の熱が出て、幸いコロナでもインフルでもなく、すぐ下がったが、病み上がりではあった。
 長い間、どういう親戚だかわからなかった。祖母の実家の寺だということを、かなり後になってからなんとなく知った。祖母は七人きょうだいの末っ子で、寺を継いだのはその長男なので、その子供の配偶者である今回亡くなった坊守さんとは、叔母と姪の関係とはいえかなり年が近く、親しい間柄だったようだ。出石というところは住民の反対で駅ができなかった土地で、今でも公共交通機関はバスしかない。車の免許を持たない祖母はよく一人でバスに乗って里帰りし、叔母さんではなくお姉さんと呼ばれながら茶飲み話に興じていたようだ。

 つまり私は、今回亡くなった坊守さんにとっては、いとこの子供にあたる。同じことだが、叔母の孫というよりこっちのほうが感覚的にわかりやすい。逆に私から見ての故人をあらわす言葉は日本語にはない。大伯父・大伯母という言葉があるがこれはまた違う。喪主である祐子さんと私とは又従兄弟ということになる。近い親戚なのか遠い親戚なのかわからないが、私は祐子さんには言葉では言い尽くせないほどお世話になった。父が急逝して住職に就任するまでのあいだは特にだ。家系図的にどういう関係なのかなど誰も気にしていないらしく、私は(前述の祖母が末っ子だったという話も含め、一切のことを)一度も説明されたことがなかったが、今回を機に聞いた話を綜合して書いた。平成十六年(2004年)の台風23号の水害で長専寺の本堂も庫裏も水浸しになり、畳などは一枚残らず流れ去ってしまったのを、新しく全部寄付したのが私の父だったということも今回参列していた人に初めて聞いた。その八年後に厳修された台風復興記念法要への案内に「濃い親せき寺として、出勤させてもらおうと思う。(万難を廃して)」と書いた父のメモが残っている。親等数にかかわらず非常に濃い親戚だということだろう。

 平成十六年の水害では長専寺の前にあった民家二軒が根こそぎ無くなったし、現代の普通のコンクリート製の橋である鳥居橋が流された。いかに凄まじい水害だったかがわかる。出石のあのへんが特にやばいというわけではなく、本当に甚大な自然災害が来たら日本全国どこにも安全なところなどないというのが教訓だ。たとえ山の上の高台でも川というものはあり、それが氾濫して床上を侵す。伊勢湾台風(昭和三十四・1959年)の経験で民家に水がつくと一体どういうことになるか身をもって知っている人たちは避難指示など無視して家から出ず、ひたすら家財を二階へ上げることに専心していた。30センチの水でも溺れるから絶対外に出るなと言われていた。──以上は今回参列していた人で、平成十六年水害も伊勢湾台風も体験した谷山さんに聞いた話である。しかしコンクリート製の橋が流されたというのは伝聞と、のちに橋が付け替えられたことに基づく事実誤認ではあるまいか。以下、最近読んだ車谷弘の遺稿集『銀座の柳』所収「大洪水」より引用。

……木の橋のよさというのは、すぐ流されることであって、そのために水の流通がよくなり、被害を最小限度にとどめるのだそうだ。ところが、こんどの水害でみると、コンクリートの堅固な橋は、木材その他、山からの流出物をせきとめてしまい、ここで水がもりあがって、怒涛のように、町の中へあふれたという。昔のひとの生活の智慧の、こんなところにもあるかと思ったのは、たとえば桐の簞笥で、これはかるくて水に浮かび、湿気を帯びると引き出しも密閉されて、中のものは少しも傷まない。私のところも、それで助かったが、つくりつけの簞笥の家は、みんな駄目になったそうだ。

 桐のたんすの話が強く印象に残り、憶えていたので、水害ということで読み返してみると、うまい具合に橋の話が載っていた。「消え去る鳥居橋」(但馬情報特急 2006.01.08 https://www.tajima.or.jp/furusato/living/120255/ )に拠ると、平成十六年のときも鳥居橋の橋脚に大量のゴミが引っ掛かって堤防が決壊したそうだから、逆に堅固な橋が流されなかったことで被害が拡大したということだ。

 閑話休題。初めて褥瘡というものを見せていただいた、人間の体はこのように朽ちていくのだな、老いて死ぬということも大変なことなのだな、と最後まで母に教えてもらったという意味のことを喪主は挨拶で述べられた。満九十九歳だった。

 ところで私の母は親戚だろうが友人だろうが葬儀や弔問には行きたがらない。それが失礼なことだという感覚がないらしい。むしろおそらく死を見るのがうしろめたいのだと思う。
 母の非常識は今に始まったことではないので私は驚かない。しかもこういうことは現代病でもある。葬儀を営む側にしても、死を人目にさらすのを憚る気持ちがあるのか、家族葬などの非公開形式が増えている。しかし人が死ぬのはなにも特別なことではないので、公開の儀式をして広く世間に知らせ、感謝の気持ちを伝えるのが礼儀でもあり、当然のことだ。この当然のことが絶滅しかけているのはたしかなことで、実は私も以前は派手な葬儀など自己顕示欲の満足以外に何の意味もない空疎な虚礼だと思っていたので気持ちはわかる。姉と妹には、手ぶらで普段着でいいから行けるときにすぐ弔問に行け、こういうときはそうするもんだ、と言ったが、言わなければ知らなかっただろう。母の子供だけのことはある。長くなった。このあたりのことはできればまた改めて書きたいものだ。


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