2016年12月

●A型インフルエンザに罹患した。3人も感染者が出ている超満員のライブハウスで汗だくになって暴れていたので自業自得である。来年からはちゃんとワクチンを接種しよう。それでかなり防げるらしい。

●1月いっぱいで校正の仕事は辞めて兵庫県の実家に戻り寺の経営に専念するつもりだったが、「落ちついたらたまにでいいから手伝いに来てくれないか」と言われ、それもありだなと思った。宿泊費は出してくれるから東京の部屋を引き払ってもできるし、何かのついでに東京へ行くときに高崎まで行くというていにして兵庫ー東京間の交通費は自腹を切る。夜勤でフルで呼んでくれるならそれでも充分見合うだろう。

●いろいろなところへ行かないといけない。そうしないと淀む。

●私が仕事で唯一尊敬していた古元文裕さんという校正者は今年の6月に亡くなってしまったが、その古元さんの現場へ一度だけ入れてもらったとき、次のように言われて刺さったことがある。

「赤字を出すのが仕事なんじゃない。疑問を出すのが仕事なんじゃない。仕事ってのは責任を明確にして、その中だけで完全に責任を負うことだ。」

●これはもう、まったくその通りなのだ。自分で責任を負えることは自分の中だけで解決して外部に出さない。わからないことだけ訊く。この方針が明確になると、仕事への覚悟がまったく違ってくる。外にあらわれる態度も劇的に変わる。

●こういう超重要なことはふつうなら教えないのだが、当の古元さんも亡くなってしまったことだし、これからはこういうことも積極的に教えていかなければならないと思う。

(金川)

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●新宿MARZにてベルハーと3776のツーマンを観る。ベルハーはメンバー5人のうち3人がインフルで斃れ、今年いっぱいで辞める2人のみという非常事態。

●3776を初めて観たのは今年の五月、アーツ千代田という廃校になった中学校を改造した施設だ。そこの元体育館で観た。だから音響の面ではあまり良好とは言いがたかった。でも井出ちよののズバぬけたダンスと歌とトークのうまさが記憶に焼きついた。なんでこんな達者な人がこんなところにいるのか不思議だった。

●それ以来、二回目の鑑賞だ。音響のいいMARZで初めて楽曲の本領が伝わった気がする。正直、3776の曲がいいというのは諸方面から何度も聞いていたけど、配信音源やYouTubeで聴くだけでは私の教養のなさもあって今一つピンと来なかった。ライブでのパフォーマンスと合わせて完全体なのだと納得。すばらしいライブだった。

●岡田徹のソロアルバムのMVはなるほど確かに衝撃だった。でもあれはさすがにあざといと思った。


(金川)
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4歳になるおいっこのクリスマスパーティーから

帰ってきた家族の様子がおかしい。

パーティが終わったあと

みんなは帰ってしまっているのに、

校長先生と話を続ける

ギリシャ人。

家族は、ひたすら話が終わるのを

待ち続け、いらいら。

帰ってくるなり、

「どうして空気が読めないんだろ?」

という、家族と、

「もう、帰るよ」って、声をかけてくれればいいのに、っていうギリシャ人。

なにも言わずに、いらいら怒りを表現されても、何で怒っているのかわからない。

vs

空気がよめず、自分の話ばかりしているように見える外国人。

それぞれの言い分があり。

察する文化、という日本の美徳は
 
ストレートに表現する外国人には、

なかなか

難しい。

しかしお互いに、

察する力、

表現する力、

どちらも取得できれば、

すばらしい

ギフト交換になる

気がする。


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●12連勤の予定だったが休みが一日もらえたので赤坂BLITZのベルハーワンマンへ行くために100㎞移動して帰京した。

●全国展開している家電量販店のチラシの校正をしている。ただでさえ年末進行で大変なのに基本的なことを理解していない人があいだに入っていたので当然伝わるべきことが伝わらず大混乱した。

●営業時間を確認しなかったのは失敗。責任を負えることと負えないこととの線引きをもっと明確にしないといけない。いつも適当にやっているから、それが裏目に出た。適当にやると早くできて楽で長続きするからトータルでミスが少ないというメリットはあるけどたまには気を張らないといけないと猛省させられた。

●商印の校正はなにも特殊なことをやっているわけではなく、世の中にはびこるわかりにくいことをきちんとわかりやすく整理して伝える仕事だと思っている。つまり汎用性のあるスキルだと思っている。私はもうすぐ辞めるが、この経験は今後も必ず役に立つ。今の現場は今まで入った幾つかのチラシ現場の中でもダントツに面白い。原稿がわかりにくく先方の担当者もわかっていない人が多いからだ。

(金川)

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ふくしまに

「ヒトト」 という

マクロビオティックベースの

かわいらしいカフェができた。

どーしても行きたく、

きのうはじめて

ギリシャ人と一緒に

おじゃま。

かわいらしい店内に

働く女性3人。

偶然にも友人2人がそこで

働いていて、

さらに、

友人の旦那様がお昼を食べにきた。

「彼の奥様はこの中で誰でしょう?」

なんてクイズを出してみると、

「見た目だけの印象でいうと、、、」

と、いいながら

奥さんを当てるギリシャ人。

つい調子にのって、

他の二人はどうか?

なんて愚問に、

「二人には今パートナーがいないように見える」

と、

確認してみるに、

当たりです! 

ざわつく私たちに、

「なぜパートナーができないかというと、

男は、あんまりナチュラルすぎる女性が好きじゃない、、、」

とはじまり、

「日本では、これが美しい女性の典型です!

というイメージがすりこまれすぎていて、

パートナーができにくくなている、、、」

など、うんぬんかんぬん。

話しだすととまらなくなる

ギリシャ人の話しを

ひやひやしながら通訳して

かえってきた。
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●予定が二転三転し、バスと忘年会をキャンセルして飛行機のチケットを予約。状況に応じて、即座に打つ手を変える。それにしても綱渡りだ。そういえば以前、夜にフルタイムで働きながら夜間の学校へ行っていた。入学する前はこんなことが可能なのかと思ったものだが、やってみると案外できた。寝る時間と移動手段を工夫してスケジュールをパズルのように組み合わせれば結構どんなことでもできる。やる前から自分で自分に限界をつくるのはよくない。

(金川)
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●新宿ー京都間の深夜バスを予約した。13,000円。これはたぶん、ものすごく高い。日によっては1,000円台でもあるので。しかし年末で混んでいるのと、深夜出発で寝ているあいだに着きたいのとで、こういう選択になった。バスは日によって値段が10倍近く違うという柔軟なシステムなのが面白い。Bus sagasu経由で楽天トラベル使用。

●超長距離移動の二拠点生活をしていると交通手段に頭を使う。飛行機で往復すると45,000円はかかってしまうし、新幹線と特急を乗り継ぐのは手軽だけど最短で片道5時間半かかる。今のところ飛行機も電車も24時間営業ではないので寝ているあいだに移動できるバスを上手く使わないといけない。

●先日、友人に聞いた個人経営の小売店の出張の話が面白かった。なんとなくの思い込みなのだが、私は出張といえば大きな会社の社員が地方の支社などへ何かをしに行くものだと思っていた。しかし陶器店の従業員が陶芸家のアトリエへろくろを回しに行ったりガラス工場へ灼熱の管を吹きに行ったりしてもいいのだ。それが日々の売上げにつながる。

(金川)
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どこの場でも

よく繰り広げられる話題のひとつで、

実際のところ

SかMか?

という話で、

Sだ、

という人の話を

ほりさげて聞いてみれば 

ただたんに、

意地悪なだけ?

とか、

乳首を切り落として食べる?
 
だとか、

そうなると、

カニバリズムって話にもなったり、

きりがなく

その定義はよくわからず

サーバとレシーバーなのかな?

とか、

理解をしようとしても

なんだか

やっぱりわからず、

じゃあ自分はどっちだ?

と、

チーム分けしようとすると

Mだといわれて、

そうか、とおもったり

いや、やはりSな部分もあって

どっちでもある、

と、中途半端な答えで

つまり

ノーマルのNだ

と、

つまらないかえしで

なんだかいつも

ピンとこない。
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子どもの頃

家族と一緒にでかけると

よく迷子になっていた。

他のことに気をとられ

気がつけば誰もいない。

置いてけぼりで、

さまよっている。

家族で団らんする、

というのが

苦手だからか、

どこかでいつも

ここじゃないどこかに、

いなくなってしまいたい

と、

そんな気持ちがつねにあって

すきさえあれば、

どこかにいってしまいたい。

あっという間に

なじんでしまった

外国人が、

家で仲良く

家族と話していると、

私の居場所がどこにもない、、、



エゴがさわいで

どこかに消えてしまいたくなる。
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●平日にしかできない役所関係の手続きをする時間がとれるのが今日明日の2日間しかない。両日とも教習所と病院の合間をぬって動かないといけない。明日夕方には怒濤の12連勤のために高崎へ出発しなければならない。最悪高崎からの郵送になる。

●べつに怠けていたわけではない(念の為)。11月はじめに頼んでおいた必要書類が届いたのが12月6日、急な通夜と葬儀もあり、それ以後、動ける暇が今日までなかった。

●とはいえ、同時に最低二つのことはやらないと専門バカになる。先日、フルタイムの高校教師とお寺の住職と、10年以上二足のわらじを履いていた人の手帳を見せて貰った。日ごと時間ごと仕事別に色分けされた項目が市松模様のようで、いくら場所的に近いとはいえ一体どうやって両立させていたのかと目を疑うような内容だった。でもだからこそバランスも取れていたのだろうし鍛えられて実力もついたのだろうと思った。どちらかに偏っていたらこうはならなかっただろう。

●前任者が何も説明せずに死んだのでいろいろな事柄の内容をくみ取らなければならないが、日本的コミュニケーションの暗部にしばしばぶつかる。例えば「1万円寄付してくれたらある品物を差し上げる」という命題。これは真だけど、こんな明瞭には説明されない。寄付要請額1万円という事実とある品物の姿が無関係に並置される。これでくみ取れということらしい。

●「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の情緒を言葉で説明することはできない(=言葉で説明できるのは情緒の抜け殻のようなものだけだ)という日本的美意識なら、まあ、まだわからないこともない。寿司職人を育てるために皿洗いから始める徒弟制度のようなものも、百歩譲っていい面が全くないわけではないとしよう。合理的な職人養成プログラムでは伝えられない心のようなものが案外寿司の味を左右する重要要素になり得るのかもしれないからだ。しかし芸術とも職人技とも関係ないところにたまたま残ってしまった非言語・非論理の理解圧力を世の中に温存すべき理由はない。排除しても文化的に何も問題ないしメリットのほうがはるかに大きいと思う。この圧力がこんなに世の中(とりわけ田舎)に散見されるのは芸術と職人技が隠れ蓑になり、あまり人々の排除意識にのぼらなかったからではないか。

(金川)
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