2019年09月

●この10日間は劇の練習〜逮夜のお参り、東京出張一泊とんぼ返り、彼岸会法要〜第一回某委員会、寺の新イベント企画、TEDxKobeパブリックビューイング〜豊岡ブレイク〜懇親会〜区の秋祭りの会議〜同級生飲み、ゆるい読書会、某法要の会奉行と打ち合わせ〜逮夜のお参り、解剖献体者追悼法要出勤、第二回某委員会という日々だった。こうして列挙すると単に雑多なだけのようだが、それぞれに付随するぜんぜん毛色のちがうこまかいタスクを処理するのが面倒だ。しゃべってばかりいたので文章が書けなくなった。

●この中では同級生飲みの緊張感のなさとそれによる精神をスポイルする度合いが特筆にあたいする。かしこすぎる人がバカになる必要性があるなどの理由でもない限り、同級生飲みなどというものは半年に一回で充分だ。何も考えずしゃべっているので、頻繁にやるとひとつの主題について適切に論じたり意見を述べたりする能力がどんどん殺がれていく気がする。

●それにひきかえ豊岡ブレイクは刺激的だった。豊岡ブレイクというのは簡単に言えばTEDxKobeのトークをみんなでリアルタイム視聴してディスカッションするイベントだ。今年は参加者の約半数が高校生以下だった。私ははるか年下の高校生に対しても敬語で接するが、それは対等な相手として尊重しているからというよりも、敬語でかつ標準語でないと対話ができないからだ。たしか平田オリザ氏がどこかで日本語には対話の文体が存在しないと言っていたが、私にとっては標準語の敬語がそれに当たる。《標準語の敬語》の真逆は《方言のタメ口》であり、後者でしか話せない同級生とはまともな対話が成り立たない。対話とは一定の緊張感を伴うもので、党派性のもと、ある偏った価値観を主張するものである。


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おはようざいます。

すっかり秋晴れの気持ちいい朝でございます。


少し前、ニュースで千葉の停電をみると

いっこくも早い復旧を願うと同時に、

2011年、3月11日の

大きな揺れを思い出していました。


当時の地震を、私はふくしまで体験したわけでありますが


電気、ガス、水道がとまり

車のTVで何がおきているのか、見ていたのを覚えています。


水がないと人間は死んでしまうので

水が確保できる場所を

通りすがりの人とシェアしたり、

道すがら「大丈夫でしたか?」

と、声をかけあい、


ある意味、

それまでは

恥ずかしくて

道ゆく人と声をかけあう、挨拶をする

なんてことはあんまりなかったけれど

そんなことは言ってられない

殻を破って協力するしかない

という状況においこまれました。

けっか


『恥ずかしさ』


という殻を

ひとつ、やぶらざるおえない状況にあったのじゃないかと

思うわけでありまして



表現するのが恥ずかしい、

声を出すのが恥ずかしい、

気づかれるのが恥ずかしい、



と、いろんな『恥ずかしい』が潜んでいるわけでありますが

そうもいっていられない状況だったわけであります。


さらには

自分の人生これでいいんだろうか?

そう、みつめなおさざるおえない状況もおとずれ

どーせ死ぬなら

自分の人生、楽しまなきゃ損!

といった感じで

あたらしい生き方を選択する人や、

パートナーと結婚する人、離婚する人

いろんなことを選択しなおす人がおおく、

それにより

人生がぐんぐん進んでいる人、

本来の輝きをとりもどしている人が多い気がします。



当たり前だったことが

当たり前ではなくなることは、

人生をどんぞこにつきおとすきっかけにもなれば、

反対に、

人生を輝かせるきっかけにもなるのではないと

思うわけでありました。
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最近気になる男友達がいる。

会うたびに

「早く結婚しろよ」

といわれるこの友人の

なにが気になるかというと

いくら会話をしていても

つまらない、

と感じてしまうのである。


「結婚はいいぞ、早く結婚しろよ」

という会話のループから

どーしても脱出できず

毎回、同じ話になって


結婚している俺は上

していないお前は下


という暗黙のメッセージを

勝手にうけとり

「つまらない」

と、感じてしまっているのだ。(このあたりに自分の勝手なひがみが隠れていそうなわけで......)


彼の近況をみていると

おいしいレストランで食事をしている写真がよくアップされるのだが

どーしても、あの

会話ループを思い出してしまい

これもまた、つまらない

と、感じて

つまるところ

この友人に対して


「つまらない」


というレッテルをはりつけてしまっている。




彼にとっての幸せは

パートナーや友人たちと

「おいしい食事をしながら楽しいひとときをすごすこと」

なのかもしれなく、

それは私にとっても幸せであるはずなのだが

そこに毎回同じような

平たい会話というイメージがつくと

とたんに

退屈という文字が浮かんできてしまう。


しかし、彼からすれば


いつまでも結婚しないで

ふらふらしている私は

「なかなか人生が進まないやつ」

という風にみえるのかもしれなく、

お互いにお互いのレッテルをはりあって

そこからぬけだせず

おなじような会話をくりかえしてしまって

なんてつまらないやつ。

なんて進まないやつ。

というような

マウンティング合戦がおきてしまうのかもしれない。
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ご無沙汰しております。

こんにちは!

みなさま、お元気でしょうか?

太陽ブログレス蠍座22度、クロサワユー子です。


最近よく引くカードに『情熱』

というのがあるのですが

そのたびに


はて、情熱?


自分はいったい何に情熱をかたむけているのか

というところで

ピンとこないわけでありまして

困ったもんです。



自分のホロスコープを解析してみると、

現在の状況をあらわす

プログレスの太陽が「蠍座22度」。


蠍座というのは

人や現象など、対象となるものと

一体化することによって変容していく

トランスフォームの気質があります。


そして蠍座22度のシンボル

「アヒルに向かって進みでるハンター」

このサインでは

無意識にある怒りや反発など

もやもやしたものをポジティブに発散していく

そういった意味合いがあります。


つまり

今現在の目的としては

「対象と一体化して、ポジティブに変容していきたい」

というのがある、ということになります。


そうやって解析していくと

友人との会話、セッションなどなど

何にせよ

関わることで意識が変容していく

そのプロセスが楽しかったりします。


あと何年かは、

プログレス太陽蠍座時代がつづくので

こういったことが

楽しく、

またまたそこに情熱があったり

するのかな〜っと

思うわけでした。



みなさんの

「情熱」は

どんなところにむかっているのでしょう?

興味しんしんな本日、天気のよい福島にて。
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何年か前に

韓国にいったとき、

どーしても食べたかったものがあって

それは、

チャジャンミョンとよばれる

ジャージャー麺の韓国版であった。


テレビで見て

食べたくなったのか、どーだったか

とにかく食べてみたかったのだ。



おいしい韓国料理をたべれるところはないか

ソウルのタクシー運転手さんに

聞いてみると

「めちゃくちゃおいしいところがある!」

親切にも

自分のいきつけに連れていってくれた。

いかにも大衆食堂といった感じで

おいしいそうで

さっそく

チャジャンミョンをたのもうとしたら


「いやいや、ここはシーフードラーメンがおいしいから!」


と、おじさんは

自分もここで食べることにしたらしく

シーフードラーメンをおしてくる。

いやいや、私は、チャジャンミョンが食べてみたいんだけど

と、言おうにも

このお店は、ぜったいシーフードラーメン!


強いおすすめにあい

葛藤するまもなく

おじさんは、

自分と私のぶんの

シーフードラーメン

を注文してくれた。


そうか、そんなにおすすめなら

さぞかしおいしいだろうシーフードラーメンを

いただいたわけで

それは、たしかにおいしく

その日はおわったのだが。


けっきょく

韓国にいったのに

あんなに食べたかった

チャジャンミョンを食べそこねて帰ってきた。


いったい、私は何をしてたんだ?


と、今になってもおもってしまうが

当然

チャジャンミョン熱は、くすぶっておさまらず

その熱をどうしたかというと

大久保の韓国料理ではたしたのである。


ああ、やっとありつけた!

と、おしかったわけですが


なんっていうか

たまに思い出すできごととして

チャジャンミョンのこの出来事がある。


こういったことが

わたくし、

人生でちょこちょこおきていませんか?

と、自分に問いたい。



食べたいものや、

欲しいものがあったら、

はっきりと

これが欲しい!


と、口に出し

ぜひとも

本当に欲しいものを

受けとっていきたいわけであります。
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●中島義道『ヒトラーのウィーン』読了。開高健「屋根裏の独白」読み始める。前者は数年ぶりの再読だが最近の読書でハプスブルク帝国の歴史をおさらいしているので感銘もひとしおである。後者は常識人の皮を被った異常天才こと和田誠のこれまた異常な傑作『超時間対談』のヒトラーと開高健の対談からウィーン時代のヒトラーを扱った作品が開高にあることを知り、古書で全集第3巻を取り寄せた。これはいい本だったが解題めいたものが一切ない。私は開高健については全く無知なので簡単な解説ぐらいは欲しかった。

●井上達夫/伊勢崎賢治/田原総一朗『脱属国論』サンプル読む。私はちょっと前まで憲法9条は世界平和を志す国民が死守するべき尊いものだと思っていた。しかし今は違う。「事実として戦争ができてしまうにもかかわらず、それを裁く国内法体系が9条があるために存在できない」という現状が問題で、これを適切に改正することが国際社会に対して責任を取ることだと思うに至った。

自衛隊がもし現状のまま、海外派遣先で、もしくは日本近海への防衛出動で他国の軍隊と「衝突」し、その結果、戦争犯罪をおかしたと相手から訴えられ、国際法による裁定となって、日本に戦争犯罪を裁く法律がないという「法の空白」が発覚したら、前代未聞の外交問題になります。

●この引用文は日本の「法の空白」は今はまだ国際社会にバレていないからバレないうちに大急ぎで憲法改正して法整備しろと言っている。バレてはいけないことをこっそり言うのではなく本を出版して大々的にアピールするのが面白い。これを英訳して世界にバラ撒けば適切な憲法改正に向けての大きな一歩になるだろうと思わざるを得ない。


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●法事に興味はあるが、家からまだ死者を出したことがないという方なら、系図を調べ、百回忌、百五十回忌、二百回忌などを企画されてはどうか。ぴったり当たらなくても百を超えれば数十年ズレても誤差として許容範囲だと思う。両親や祖父母といった近い肉親なら顔も見たくないことも多いだろうが、数世代前のご先祖であればとくに嫌う理由も憎む理由もないからだ。

●もしくは、日本の名字はそのほとんどがルーツを辿れば源平藤橘のいずれかに行き着くと聞く。源氏の子孫だと言い伝えられているなら、たとえば静御前の八百三十三回忌などを厳修されてはどうか。誰でも法要の主催者になれる。まずはどんなご法事をしたいか話し合いの時間を設ける。北斎描く白拍子のレプリカを前に二人静を生けた荘厳にしようが同名のサイレント映画を上演しようが敬いの気持ちさえあれば仏事のコンヴェンションに抵触するとは思えない。

●幼い子供に仏事法要を体験させてやりたい、かつ自分もホスト(施主)として経験値を積みたいとする。大いにありえる。拙寺にご相談いただければなんでも対応させていただく。こんなことを考える。前日の夕方に遠方から空路で来寺、夕食をご一緒しながらじっくり相談、寺に泊まっていただき、翌朝、礼服に着替えていただき、法事。一日半の非日常体験を提供。

●先日ちきりん氏が消費税増税前の駆け込み需要がぜんぜん起こっていないらしいことに注目されて「消費者側はこの五年半で消費行動をすっかり変えてしまった」と分析された(霞ヶ関と永田町の、遥か先ゆく消費者たち)。これは万人が薄々は気づいている変化について非常に強力な傍証を提示したという点で慧眼だが、消費行動の変化は必ずしも「モノからコトへ」と言いあらわされるわけでもない。たとえば私の住んでいる地方小都市では観光事業をメインで教える専門職大学を開学しようと準備が進んでいる。しかしここ数年の消費行動の変化を鑑みれば、観光に金を使う日本人がこれから先に増えるとも減らないとも思えないので、大丈夫か、となるわけだが、専門職大学にとっての観光は外国人観光客へのもてなしと完全にイコールだというのが、わざわざ説明するまでもない常識と化しているのだろう。日本の消費者はモノを買わなくなった分コトに金を使っているかといえば必ずしもそうではなく、コトはコトでも観光などのぜいたくはせず、教育・研修・移住といった中長期的に実を結ぶコトに興味を持っていて、宗教行事もこのカテゴリーに入る。(芸術はボーダーライン上にある。)


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去年。

下北沢のカフェで

リーディングのセッションをしていたことがありまして

そのときのお話です。



そこは

落ち着いた雰囲気の老舗カフェ。


人もそんなに多くなく、

リーディングにぴったりだと

使わせてもらってたことがありました。


私の場合、パソコンをつかうので

コーヒーや紅茶をのせると

少々テーブルが狭く

2人席よりも

4人席のほうがありがたかったりするわけで


カフェに、人があまりこない午前中。

混む前の時間

空いている4人席を使わせてもらってもいいですか?


と、たずねてみたところ



「ダメです」



という答え。


けっきょく、そこのカフェも

テーブルがきつい2人席で

何人かのセッションをおこなったことがありまして

もちろん、

そのつど飲み物を注文していたわけでありますが。


ある日、そこのカフェに


とある、俳優さんが来たわけでした。

お父様も有名な方で

2世俳優さんでありながら

味のある演技で、ご自身も活躍されている方。


その時カフェには

私たちしかいなかったわけですが


その俳優さんは常連だったのか

あっさりと、一番広い4人席に通されたわけでありまして


きつきつの2人席でセッションをおこなう

すぐ近くで

4人席でゆうゆうとひとり

タバコをふかすその俳優さん。

よこで見ながら、

常連とはこういうことか

と、体感させられたわけですが。



お店側として

大事にしているお客さんというのは

いるわけで。

そこは、関係性だったり

なんだったり、かんだったり。

カフェ・ヒエラルキーを

考えさせられたわけでありました。
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どもです〜。


なんだかかんだと居心地のいいここ、代田橋。

歩いてすぐのところに下北沢があり

気合いをいれなくてもぶらぶらできる雰囲気が

好きなわけですが


去年の夏。


おいっ子(6歳)とめいっ子(4歳)の面倒を

下北沢でみることになりまして。

かき氷を食べたいという2人の主張に、

3人で1個を食べよっかという形でこたえたことがありました。


下北沢商店街の真ん中にある

古いかき氷屋さん。

いちごのかき氷を注文し

カウンター席があったので

「中で食べてもいいですか?」

と、聞くと

「注文した人のみです」

という。

3人で1つを注文したので

1人しか座れないということになり

しかし、そのカウンター

誰もお客さんがおらず、席がすべて空いている状態で

「座らせてくれませんか?」

と、くいさがりましたが

答えは、No。


けっきょく、

誰もいないお店の前で

地べたに座って、子供たちとかき氷を

食べたわけでありまして


なんとうか。


人がおおいし、誰がくるかわからないから

お約束を通さないといけない

ということはあるのでしょうが。


「いいよ、座っていきなよ」てきなことを期待していた私は

ああ、ここのかき氷、おいしかったし

またこよう。友達つれてこよう。

てきな

お約束の先にひろがる

豊かさがあるのではないのかな。

なんて、

ざわざわと。

マインドが騒いだわけでありまして。


かき氷が食べれれば満足だった子供たちは

さして、気にもとめていなかったけれど

マインドが騒いだ結果、この日の夜。

すやすや眠る子供たちのよこで

ひとり、熱中症にかかり

うなされたわけでありました。
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●キャロル・リード監督『第三の男』(1949)が超多民族国家オーストリアのウィーン自体を主人公としていることに感銘を受ける。

●江村洋『ハプスブルグ家』→須永朝彦『黄昏のウィーン』→マンジット・クマール『量子革命』→マイケル・フレイン『コペンハーゲン』読む。(『量子革命』はメチャクチャ面白い物理学史だったが原子爆弾の開発のあたりがスコーンと抜けていたので何か別のノンフィクションで補いたい。)

●「時効警察」見始める。面白い。


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