●この10日間は劇の練習〜逮夜のお参り、東京出張一泊とんぼ返り、彼岸会法要〜第一回某委員会、寺の新イベント企画、TEDxKobeパブリックビューイング〜豊岡ブレイク〜懇親会〜区の秋祭りの会議〜同級生飲み、ゆるい読書会、某法要の会奉行と打ち合わせ〜逮夜のお参り、解剖献体者追悼法要出勤、第二回某委員会という日々だった。こうして列挙すると単に雑多なだけのようだが、それぞれに付随するぜんぜん毛色のちがうこまかいタスクを処理するのが面倒だ。しゃべってばかりいたので文章が書けなくなった。
●この中では同級生飲みの緊張感のなさとそれによる精神をスポイルする度合いが特筆にあたいする。かしこすぎる人がバカになる必要性があるなどの理由でもない限り、同級生飲みなどというものは半年に一回で充分だ。何も考えずしゃべっているので、頻繁にやるとひとつの主題について適切に論じたり意見を述べたりする能力がどんどん殺がれていく気がする。
●それにひきかえ豊岡ブレイクは刺激的だった。豊岡ブレイクというのは簡単に言えばTEDxKobeのトークをみんなでリアルタイム視聴してディスカッションするイベントだ。今年は参加者の約半数が高校生以下だった。私ははるか年下の高校生に対しても敬語で接するが、それは対等な相手として尊重しているからというよりも、敬語でかつ標準語でないと対話ができないからだ。たしか平田オリザ氏がどこかで日本語には対話の文体が存在しないと言っていたが、私にとっては標準語の敬語がそれに当たる。《標準語の敬語》の真逆は《方言のタメ口》であり、後者でしか話せない同級生とはまともな対話が成り立たない。対話とは一定の緊張感を伴うもので、党派性のもと、ある偏った価値観を主張するものである。
(金川信亮)