2020年02月

●本はけっこう読むが小説は全く読まないという人が私の周りにもかなりいる。その気持ちはなんとなくわかる。私もどちらかといえば批評やノンフィクション系の本のほうをより好んで読む。小説といえば、本当に面白いものしか読んでこなかったような気がする。

●新刊が出たら読むという小説家は現在ではミシェル・ウエルベックしかいない。とはいえウエルベックを読み始めたのはそんなに古いことではない。2015年、最新作『服従』の邦訳が待たれているときに浅田彰の出演したゲンロンカフェのトークイベントで知って、最初に読んだのは中村佳子訳『プラットフォーム』だった。いっぺんでやられた。電子化されている作品が少なくて、次にKindleで読めるのは『ある島の可能性』だけだった。『服従』は出てすぐ読んだ。その次ぐらいに以前読書界で話題になった記憶はあった『素粒子』をちくま文庫版で読んだが、これに一番やられた。あのラストは本当に凄いと思う。『地図と領土』はまだ読んでいないので楽しみが残っている。最新刊『セロトニン』はもうすぐ読み終える。昨日の読書会で小説の話になり、ウエルベックの名前を挙げたところ、意外にも誰も知らなかった。長編が多く邦訳されているが全部同じで、小金を持った冴えない中年男がうだうだ言う話ばっかりなのだがそれがたまらなくいいのだと紹介した。そんなに間違っていないと思う。

●オールタイムベストというか一番好きな小説家を一人挙げろと言われたら、やはり久生十蘭になると思う。短篇では『復活祭』『生霊』、中編では『蝶の絵』、長編では『十字街』『だいこん』などが好きだ。ほかには三島由紀夫は高校時代『青の時代』『沈める滝』にやられて以来好きで、「豊饒の海」四部作はだいぶあとになってから読んだが、現代日本文学最高の達成だと思う。(『春の雪』の絢爛とすっとぼけた背徳もいい。『奔馬』は一番構成がカッチリしていていい。『暁の寺』は暗鬱で重苦しいという悪評もあるようだが私は大好きだ。もちろん『天人五衰』は最高だ。)

●浅倉久志訳のカート・ヴォネガットも好きで、いくつか読んでいて、どれも好きだが、なかでも『スラップスティック』は最近再読して感銘を新たにしたことをここに書いた。G.K.チェスタトンなら吉田健一訳『木曜の男』だが(本当に最高だ)、ちょうど今、『新ナポレオン奇譚』という邦題で出ている最初期の作品を読んでいて、これも面白い。あとは、あまり数は読んでいないが、芝木好子はすばらしい。『隅田川暮色』『群青の湖』を挙げておく。

●昨日の読書会ではレイモンド・カーヴァーの短篇集『大聖堂』を読んだ。所収作十二篇どれも粒揃いの良書で、村上春樹の翻訳もいいが、あえていえばフラットだ。これを平板と取るかまとまりがあると取るか。私は黒澤優子の『トウモコロシ』を思い出した。こちらは振れ幅が大きい。両者は突き放されつつも心にしみ入ってくる感じが似ている。硬質な文体から受ける深遠で静謐な印象が似ている。カーヴァーが好きなら黒澤優子を読んでみてもいいと思う。


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●二週間あいてしまった。「東京出張から帰ってきて三日後に喉の痛みと鼻水が出るようになり、すわ新型コロナかと静養していたが、発熱や倦怠感は全くないので、たぶん大丈夫だろうと活動しまくっていたら、ここへきて咳が出るようになってきた。丸一週間経つのに完治しない風邪というのはそれだけで厳重警戒にあたいする。」と一週間前に書いていた。これはUPしなかった。あとが続かなかったからだ。おそろしいことに風邪はまだ完治しない。咳が出る。周囲の視線が冷たい。三連休が明けたら病院へ行こうと思っていたが連日の報道で出鼻をくじかれた。さすがにこの軽症だと「何しに来た」といわれそうだからだ。時間感覚がおかしくてとても二週間しかあいていないとは思えない。大丈夫か、何か重要なことを忘れていないか、という気がする。

●最初の一週間は姉のツテで引き受けたボランティアで優秀な若者に日本語を教えるという名の雑談をしたり、四月に行う予定の法要の実行委員会をしたり(まだ全然準備が不充分だ)、通夜・葬儀をしたり、母を病院に送り迎えしたりしていたらしい。次の一週間はためまくった議事録を書いたり、副会長を引き受けていただいている入院中の理事さんに呼ばれて後事を託されたり、原稿を書いて地区の会館で法話をしたりしていた。そのあいだずっと風邪をひいていた。

●法話は提婆達多の話をとっかかりにして新型コロナウイルスとも絡めた釈尊のリスク科学の話。(阿闍世王子とか韋提希夫人とか王舎城の悲劇とかいっても一般の方はほとんどご存じない。それも無理もない。私も筋少の「オレンヂ・エビス」でダイバダッタを知ったぐらいだ。)日本政府の対応にはいろいろ責められるべき点はあっただろうが、あとで批判するだけなら簡単だ。古代インドの人であった釈尊が非常に合理的批判的にものごとを判断されていたことはよく知られている。『沙門果経』の一節を引いて、如来は好ましくはあっても利益がなければこれを語らない、利益があり好ましからざることを語るには時を選ぶ、利益を縦軸、好ましさを横軸にとれば第二象限と第四象限内にあることを適切なリスク評価に基づいて判断するというような話をホワイトボードもスライドも何もないところでやったのでメチャクチャ判り辛かったと思うが、終了後拍手をいただいた。本来なら法話に拍手はしない。なぜなら拍手は評価だからだ。天皇や皇后の「お言葉」に拍手をしないのと同じ理屈だ。しかし今回は普通の講演と同じように捉えていただいた。


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レッスンをはじめてから

今日で、25日め。

きのうは魚座の新月だった。

土日、忙しいお寺を後目に

イチゴ狩りだの、テニスだの

予定をつめこんで遊んでいた母の

具合が悪くなっていた。
 
比較的いつも健康で珍しいなと思ったが

そういえば

イチゴ大福だのおはぎだのケーキだの

見てて気持ち悪くなるくらい

食べまくっていて

テニスからもどると

「気持ち悪い」と

顔を青くしている。


吐いたら楽になるんじゃない?


と、勧めても

「もったいなくて吐けない」と言う。

この

もったいない

という感覚。

それは何も食べ物だけでなく

物質全般に向けられている。

捨てれなくて溜め込むと

どんどん物が溜まる。

空いてるスペースにテトリスのように

物をのせていくのだが。

何がどこにあるのか、わからない。

快適さを圧迫するレベルまで

とっておこうとするので

捨てようとすると

「あ、それ、使う。捨てないで」

と、抵抗。


以前

ドイツ人の友人が何軒か日本の家を見て

「日本人の家って、なんでこんなにどの家も、物があるの?」

これって日本特有の問題だと思う

と、断言されたことがある。

なんとも言いかえせない。


日本特有かどうかはわからないが

傾向としてあるのだとすれば

もったいなくて捨てれない

というのは

“なくなったら死んでしまう”

といった

欠乏感からくる一種の病気

サバイバルな感覚

なのではないだろうか。

と。

首をかしげてみる。

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ホロスコープのセッションをしていると

これ以上ないくらい

素晴らしいパートナーシップの星の配置!

という方なのに

生まれてこのかた

彼氏・彼女ができたことがない

幸せな関係がつくれない

というワナに落ちていたりすることがあります。


この原因をさぐっていくと

人それぞれ理由は違っていますが


その一つに

ガマンの崇拝

というものがありました。


何かしらガマンしなくてはいけない関係。

言いたいことが言えない。

自分なんて愛されなくて当然だ。


といったものをベースに

自分のセンターにガマンをもってきてしまう。


そのガマンベース手放しませんか?


と提案しても

手放す意欲は0%だという。


ガマンが自分のエネルギーを食い尽くして

無気力、無価値観などの副作用がでていますが

それでも手放しませんか?

と、追い打ちをかけても

手放す意欲は2%にしかあがらない。



副作用はあるけれども

それ以上のうまみもあるようで


ガマンしたときの達成感なのか

幸せになることへの抵抗なのか

誰かへの復讐なのか


いろんなうまみがからみ合っていて

なかなか

手放しがたいということも

あるようです。

個人セッションはこちらから
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チェルノブイリは今ウクライナにあり、

ロシアとベラルーシの国境付近にある。

立ち入り制限区域ということで、

地球では

ほぼここだけ

人圧の加わらない場所。

動植物も独自の生態系になっているらしい。


「そこって入れるんですか?」


制限はされてるけど、入れるよ。


その辺りのきのこを取って売る人もいて

捕まったりもしているそうだ。


何十年も 

そのあたりの動物の生態系を調べてた

ロシア人研究者は

大型動物にGPSをつけて 

一度放し

しばらくして

線量と、生殖異常が出ていないか

調べていたらしい。


今のところの結論として以上が見られない

ということらしく

「その研究者、福島にも来てたんけど」

日本人の先生が

動物研究を引き継いで

原発近くの動物を調べようってなったんだけどさ。

なんかその先生。

「大きい動物が怖い」

となって

ネズミだけを研究対象にしているそうで。

1階の実験室にある

大型動物用の解体台は、

今も誰にも使われていないのだそうだ。

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朝。

大学の研究者と一緒になった。

大きな荷物を持っていたので

どこかへ行くのかたずねると

「あ、ちょっと。チェルノブイリに」

ちょっと、東京に。

みたいな感覚で返事がきた。


その研究者さん。

実験室に来たかと思うと

エタノールで何かをつくりだした。

「今さ、除菌系が売り切れてて買えないからさ」

100%のエタノールに、純水(蒸留水)を加え

アルコール72%以上で除菌効果の

オリジナルの除菌スプレーを作っていた。

だって空港こわいじゃん

と、コロナの猛威をおそれていて

それより

チェルノブイリは怖くないんですか?

と、聞けば。

「だって、放射線はあんまり影響がないことが

わかってきてるから」

これから1ヵ月。

チェルノブイリにて、付近の川の泉質を

調べるのだそうだ。
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女性から絶大な人気をもつAV男優

一徹さんのお話をうかがう機会があり

今では

女性のためのAVも盛り上がってて

なかでも

『胸キュン』

という要素は大切なようで

その一つに

ツンデレ男子

というカテゴリーがあるそうです。


イケメンでツンツンしてるんだけど

ちょっと強引に壁ドンされたり?


「ツンデレ、好きな女性多いですよね〜。鉄板じゃないですか〜」

少女漫画からの影響なんですかね〜


という一徹さんの素朴な感想をうけて

なるほど〜っと

考えてみると。


自分の周りに

この人ツンデレだな!

という人間がいたことはなく、

実際にツンデレな人とつきあったことも

ないわけだが

そうなってくると

本当にそんな人が

実存するのか疑わしいが(自分の周りにいないだけかもしれない)

たしかに

ドラマや映画の世界で

ツンデレ男子が

一人の女性にこころをひらき

照れながらも壁ドン?などしながら

だんだん恋が実っていく様子は

たしかに

見ていて甘酸っぱく

これが胸キュンか!

と、思ってしまうわけだが

なんで

私たちは

ツンデレ男子? が好きなのだろう。


まずは、イケメンじゃなきゃ

なりたたない前提がありそうだが


自分にだけ心を開いてくれる感、

その変化していくさまを

目にすることで

そこに

自分に対する一途さと特別感、そして

母性本能をくすぐられのだろうか。



ちなみに

ツンデレ文化が

世界てきにも人気かどうかは

わからないところでは

あります。

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これから新宿三丁目に行く。

けっこうアクティブな動きだと思うが

今日のレッスンは

「何もしないこと」

少なくとも1時間は存在するだけの時間をつくってください。

と、ある。


電車を待ちながら

おおきな木を見つけた。


木は、ただ存在する

ということに近いのかな

ちょっと木のまねをしてみる

そんなことをしていたら

5分ほど電車がきた。


あれこれ用事をすませて

帰路

また電車にのった。


席に座ると70代〜80代と思われる。

夫婦が目の前に来た。


いたく、ご主人の視線を感じて

視線をむけると

こちらをガン見している

ご主人と目があった。



あ。これ、席ゆずれってことかしら?



私は席をたち

「どうぞ」

言ってみた。


しばらく間があり、


「お前座れよ」

「あなた、年寄りって思われたのよ」


と、夫婦の会話。しばらくやっていたが、

けっきょく、奥さんが座って

収束した。


席ゆずるって、むずかしいな〜っと

感じつつ

そういえば、今日のレッスンは

「何にもしない」

だった〜っと、思い出した。


何もしないって

一番むずかしいかも。

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●江原河畔劇場の話を続ける。プロジェクトページを確認したところ、初日に売り切れていた999万円の江原河畔劇場ネーミングライツ三年分コースは現在再び売り出し中状態に戻っている。私が注視していた法人限定の100万円のコースは2つ売れて残り8個だったのが1つ売れて残り9個に修正されている。実際どうなっているのか質問しようかとも思ったが、おそらく何らかの不具合があったのだろうし、現状で正しいので察してくれということなのだろうと思い直した。前回書いた通り、弊法人の意思決定機関である役員会でこのプロジェクトへの支援を提案したところ、全会一致で否決され、あえなく撃沈した。実質20万円で劇場に三年間法人名掲示プラス観劇無料券100枚ですよ、と力を込めて説いたのだが、そもそも営利を目的としない宗教法人でそのような宣伝行為はかえってマイナスイメージになるのではないかという意見もあり、公益のために採算を度外視して私財を投じる寄付文化の思想が全く理解されていないらしいのが残念だった。

●それだけならまだいいのだが、多くの役員会参加者には私が何を求めているのか全くわからないようだったし、江原に新しく建設中の劇場が話題になっていることについても、全く知らないか、知ってはいるが、あんな取り壊し寸前の商工会の建物が劇場になるわけがないと頭から否定してかかる人がほとんどだった。また演劇文化の役割についても、ロザリオ何とかいうやつが何かやっているようだが、そんなものが地域おこしや金儲けになることなど100%ありえないと鼻で笑う人がほとんどだった。城崎国際アートセンターしかり、この江原河畔劇場しかり、業界内での華々しい成功と広範な支持の裏にはこのような地元の保守派の頑迷固陋な無理解がある。そして現場の人間を直撃するのはこの後者のほうである。クラウドファンディングの支援コメントだけ読んでも世の中の全面はわからない。こういう無理解には、まあ15年後を見ててくださいよ、と言いたいのだが、年齢を考えると15年後にはかれらのほとんどが生きていない。だからあえて説得の労をとるより無視したほうが合理的だということになってしまい、それもよくない。

●78歳で死んだ私の父が最後に読んでいたのは平田オリザ氏の新書『下り坂をそろそろと下る』だった。(豊岡を扱ったページに爪楊枝が挟まれていた。)あれで意外に進歩的だったのかと今にして思う。


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ひまし油マッサージをうけながら

友人との深い時間。

レッスン8日めを一緒にやってもらった。


今日のレッスンは

自分の中のターニングポイントを探る

というもの。


私のなかで

ターニングポイントだったのは

中学時代、仲の良かった友人に

とつぜん、一方的に文句を言われて

無視されるという経験をし


それ以来「自分らしくいると嫌われる」

という信念をつくってしまった。


ポジティブな面でいうと

内省できるようになって

書くという表現につながったこと。

クリエイティブな回路がひらいたこと。


偶然にも、

一緒にやった、友人も

にたような経験があった。


こころの状態でいう

「絶望」てきな気持ちをあじわったわけで

こころの深さを味わったからこそ

光というか、喜びや感謝もまた深くあじわえる。


そんなわかちあいをした

8日め。


帰りの電車で

アメリカ人元彼からメッセージが届いていて

そういえば、

元彼の誕生日だったな〜っと

思い出した。
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