2020年03月

●志村けんが亡くなってしまった。実際に感染を経験した人の情報発信が目立ちはじめた。と同時に経験談として語っている言葉の信用のできなさに注意を喚起する人も現れはじめた。そういう歴史的時点でこれを書いている。

●一年半から二年ぐらいの長期戦になるとすれば、その間ずっと外出を自粛することによるストレスは想像を絶する。私は東京から兵庫県の豊岡という田舎へUターン移住して来て、休みの日や平日の夜にどこにも行くところがないという精神状態に慣れるまでに丸二年を要した経験がある。二年過ぎてしまえばまあまあ楽だ。実際は田舎でも単発のイベントはぽつぽつあるのだが東京に較べれば全くゼロに等しい。自分は出不精で家にひきこもることにストレスなど感じないつもりでも、ドアを開ければ人混みがあり、気が向けばふらっと文化施設に寄ることができる都市生活というものの救いは計り知れなかった。二年の外出自粛というのは田舎へ移住でもするつもりで完全にマインドを変換しないと耐えられないと思う。

●講演会がすべてキャンセルになって死活問題だという意見を目にするが、拙寺では、法要自体を中止にはしないで、お呼びしている講師の先生にあらかじめご法話の録画許可をいただき、後日本堂でそのご法話の上映会を開くこともご了承いただいたうえで厳修した。お参りの方(一般的に言えば観客)は少人数だったがゼロではなかった。先生にはカメラの前で喋ってもらった。多少はやりにくかったかもしれないがまあまあ普通にできた。録画内容の使い方にきちんと合意がとれていればこのやり方は一般的な人気講師の方でも使えるのではあるまいか。拙寺では本堂の上映会でしか使わず、外部に出したりはしないことを明確にしたが、場合によっては上映回数の制限などを書面で交わしておけばいい。


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福島やチェルノブイリの

河川を専門に

放射能の研究している研究員と

帰りの電車が一緒になった。


研究所では

土や、魚動物、植物、食物など

いろいろな研究がされているが

人体への研究はされていない。



でもさ。

やっぱり、人間だよね。

放射能の影響が実際、

体に、どう影響出てるか気になるのって。



研究したいんだけど

もうすでに病院での研究は進められていて

しかも

意見が別れているそうだ。


甲状腺に異常が見つかるケースが増えたとか

パーセンテージはあまり変わらないとか。


実際に調べだすと

ガンなどが見つかった時に

その人の保証、保険など

違う問題も付随して

大変らしく

かつ

本当に結果がでるのは

あと、何十年先か。


最近では福島の人たちの

自主的な甲状腺チェックの参加も減り


しっかりとした研究からは

遠ざかっているのが

現状ということらしい。
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最近お手伝いしている

環境放射能研究所。


ここでは、

原発の爆発以来

放射能がどのように環境に影響を与えているのか、

土だったり、川だったり、

魚だったり、植物だったり、動物だったり

環境といえる

各分野の専門家たちが

日々、実験を重ねながら

研究している。


それそれは

世界から

教授が集まって

言ってみれば

体に毒だとされている放射能を

わざわざ遠くからやってきて

身の危険もかえりみず

研究している。


人類のためでもあるが

間近で見ていて感じるのは

研究が楽しいから。(実際はわかりませんが)

没頭したら、他のことは目に入らないし

聞こえない。



今、どこかの研究所では

コロナのワクチンを

つくりだすべく

研究が進められているだろう。


その研究者たちも

自分が感染するリスクよりも

人類のために

その研究がされていて

すごいことなのである。

その強さは

研究者独特のものなのか

狂人じみていて

それはやっぱり

天から祝福された才と感じる。

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最近はまっている動画に

ドッグトレーナーポチパパさんの動画があります。


保護施設で処分されそうな犬など

手がつけられないかみ犬、暴れ犬を

上手にしつけて

愛されワンコに変身させていきます。


今にも襲いかかってくる犬に

向きあうのは命がけ。


ああ

自分もこういうことをしたかった

けど

できなかった〜


自分がやりたくても

できなかったことを

してくれてありがとう。


そのワンコ達が可愛いのなんの。



この人のために自分ができることは

何だろう?


ああ。

この動画に

英語の字幕を

つけるお手伝いあげるのはどうだろう?



と、思いついたが

それって

めちゃくちゃ時間かかるし、大変じゃね?



と、

すぐにハッとなり。

メールができていない。









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3月というと

眠くて、やる気がでなくて

寝る、起きる、やる気ない、けど働く、食べる。

のルーティンで

自分の意思はどこにいっちゃったんだっけ?

なんでもいいや、ああ〜ネムい。

ってな感じであっとうまに過ぎてしまった。


日課のように

コロナの心配をして

スマホでニュースをチェックして

ところどころ

コロパニの影響でハッとなるも、

それ以外の自分活動は死んでいる

みたいな。



もう、これって

心は感染しているのか

いいえ

パラサイトして

生きれればいいんです的

コロナそのもののマインドになっていたような

いや

実際のコロナは

もっとやる気にあふれているかも

しれませんが。


とにかく

自分の中のコロナを

癒したいところ。



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おはようございます。

お店を経営する友人が
コロナの影響で経営するお店をシャットダウン
全員解雇、今は先が見えない。

と、ありました。

なぐさめの言葉も出て来ず
ただただ祈るしかないわけですが。

このメールを書いている瞬間
牡牛座の月は、天王星と合。

実にシンボリックなのは
その度数で(四捨五入せず、繰り上げて計算します)

月4度「開いた墓の前にいる未亡人」
天王星5度「虹のたもとの金の壷

4度と5度では
前後でまるで違うストーリーがあり

培ったものが壊れてしまった、と
絶望の淵にいる月に対して

天王星は
虹の下に金があるのですよ。
と、サインをおくっています。

持てば失う
という単純な構造ではありますが
失わないものとして
経験や、知恵、才能、愛。など
尊いものもたくさんあります。

失った後、破壊の後には
必ず再生、誕生があります。

土星が水瓶座に入り、
ますます風の時代へと以降。

土星はルールや基盤骨組みをあらわしますが

いったん、土時代の物質的マインドの徹底的
破壊がおきています。

水瓶座が持つ
枠を超えた対等さ、改革、グローバルさ
国境を超え、差別なく猛威を振るうコロナは
国の対立をこえて、協力し合う体制をつくっているのかもしれません。

話が大きくなってきましたが
私たちの中に眠っている

ギフト。
天から授かっている才能。

社会が、生活習慣が、常識が
それらをゆるさなかったかもしれませんが
今までの価値観が崩壊している最中、
発揮するチャンスがきているのかもしれません。

常に恩恵は降り注ぎ
それは、
いたるところにサインでていて
一緒に、天の才能を世に与えていこうと
誘っているようにみえます。


個人セッションはこちらから

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3月22日はイギリス人である友人ジャスの誕生日だ。


3月の頭に

「去年の11月からしばらくスペインのマドリッドで暮らすことになった」

と、この友人からメールをもらっていたばかりで

そこには

「このあたりは人がとてもフレンドリーで快適。

なかなか上達しない自分のスペイン語にいらいらするわ」

なんて書かれていたが。



スペインは今、大丈夫なんだろうか。



誕生日おめでとうもかねてメールすると

こんな返事がきた。



『コロナ真っ只中のスペインで

私は今、たぶんコロナにかかっていると思う。

この一週間、とにかく具合が悪くて、

火曜日にはロンドンに戻ろうと思う。

とてつもなく孤独。この7日間、友達に誰にも会っていない。

日本はどう?』



とあった。

マドリッドとロンドンの間で

飛行機が飛んでいるのか?

スペインで病院に行けないのか?

どのくらい症状がでているのか?

私にできることはなんだろう?

山のような質問がでてきたが

まだ、応答がない。


とにかく

誰かに助けを求めて!

孤独はやめて!

無事ロンドンにもどって

回復してくれることを祈る。

ロンドン 118








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 KIAC、伊藤清永記念館、日本・モンゴル民族博物館という市営の三館が共同で開催する「ISDRSI 磯人麗水」という展示を見てきた。この展示のことは最初KIACのFacebookで知って、すぐに面白そうだと思ったものの、最近よくある地域資源を活用したツアーパフォーマンスアート作品のようなものだと思っていた。しかしよく見ると到底そんなものでは収まらない作品だった。

 メイン会場(伊藤清永記念館)での展示はミニマムで、氷山の一角である。目に見える部分の下にはそれを支えてそれよりも遥かに厖大な目には見えない部分が深く沈んでいる。存在に隣接する無といってもいい。自動ピアノ演奏はここが人間のいない世界であることを表している。ひうらさとるのメインビジュアルはピカッと光った爆発の瞬間で、これで世界は滅びたのだろう。ミラクルひかるの喋っている何語だかよくわからない言葉はたぶん一万年後の言葉。その頃にはもう人類はいないのだが、モニタの中の人物映像はAIで、人類が絶滅してからもずっと言葉を変化させてきたので、一万年間でこのように現代人が聞いてもわからないところまで来たのだ。砂地に埋まる古代の青銅器の数々は日本・モンゴル民族博物館の常設展示物とも呼応する。それにしては蟹のはさみが真新しいのは爆発の衝撃で時空の歪みが生じて現代からタイムリープして来たからだ。

 この館には地下一階があるはずだが今回の展示では使われていない。いやおそらく使われているのだろうが公開されていない。なにがしかの入場料を取って何もないということを見せ、ありえたかもしれないことを創造してくれと言われている。この館を設計した建築家は建築単体というよりも歴史や記憶のみならず細菌や微生物までをも含んだ有機体としての共同体を構想した。そこにSFにつながる強さがある。

 「竜宮の舞」の面がモンゴル宗教の法具ででもあるかのように展示されている。城崎マリンワールドの竜宮ショーで実際に使われたものだ。ここに三重県旧志摩郡から来た海女たちが就職し、彼女達をモデルにして伊藤清永は「磯人」を描いた。メインリテラル冒頭の描写のように設営された2F展示室は学芸員にとっても前代未聞で、多くの無がひとつの存在を際立たせる。

 私だったら金川なので名前から子音だけ取ってハンドル名をKNGWとするのがここ数年のトレンドだった。つまり磯人麗水はハンドル名ISDRSIの人名だということになる。いかにも人名っぽい。これが一番とんがっている。何だこれは、という感じだ。実際は麗水はかつて存在した喫茶店の名前である。うまいコーヒーも居心地のいい空間ももうない。円山川の対岸に玄武洞ミュージアムの特徴的なオレンジ色の建物を望むこの廃墟には死と喪失のとりかえしのつかなさが横溢している。「出演: ミラクルひかる ※店外からご鑑賞ください。」とこれ見よがしに掲げられた看板越しに中を覗き込んでも何もない。ものまねのモノローグが屋根の上の拡声器から響き渡るだけだ。公式サイトのムービーは作品理解のためには不可欠の有益なものだが、説明がなく不親切で、UIひとつとっても来訪者を精妙に苛立たせる。


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●こないだ岸田戯曲賞をとった谷賢一の『戯曲 福島三部作』を読んでいる。面白い。通して上演すると6時間ぐらいかかると聞いて、ぜひ観に行きたいと思ったのだが、結局行かなかった。第二部「1986:メビウスの輪」の第八景ではRCサクセションの「サマータイム・ブルース」(のようなもの)が流れ、ミュージカルになるらしい。チェルノブイリの事故が起こったのだから福島でも原発を止めて点検しようという当然の提案は却下される。点検などしたら万に一つ、いや億に一つであれ、事故が起こる可能性があるということを認めてしまったことになるからだという。よく聞く論理だが、なぜこういう変なことになるのだろう。なぜ点検の要請が先にあることを認められないのだろう。点検して、何もなかったら何もなかったでいいではないか。

●『COVERS』が発売中止になったのは「サマータイム・ブルース」1曲の破壊力によるものだとしか思えないが、それにしてもなぜ発売中止になったのだろう。1988年当時のRCは大企業が圧力をかければ行動の痕跡を消し去れるほどの弱い存在ではもちろんないが、毎週テレビに出るような大メジャーでもない。せいぜい通好み、玄人好みの、世間的にはマイナーな存在に過ぎない。ことを荒立てたくないなら黙殺するのが一番賢明な手だったはずだ。そんなこともわからなかったのだろうか。それとも単純にこのバンドの規模感を見誤っていたのだろうか。周知のように、発売中止になったことによって却って宣伝になり(東芝の不買運動にまで発展したものだ)、本来ならリーチするはずもなかった層にまで届き、以後広く原発の是非を問う意識が世の中に醸し出された。完全に逆効果だったのだ。しかしこの事件以来、圧力をかけるならかけるで徹底的にやらないと逆効果だということを当事者側が学んでしまったかもしれないと、ふと思う。きのうメディアを賑わせていた話題が今日になって忽然と消えたりするのを見ると、どこか非合法団体から暗に殺害を匂わせての圧力でもかかったのではないかと邪推せざるを得ない。

●佐川元理財局長の答弁は記憶に新しい。「私自身が刑事訴追されるおそれがあるから」という理由でほとんどの質問に答えなかった。当時それを見ていて頭の中がはてなマークになり、不起訴、捜査打ち切り、となったときもわけがわからなかったが、識者のコメントによると、現行法ではこれでは罪に問うことは無理で、不起訴は当然だとのことだった。

●二年後の今になって提訴された。今度は民事だ。おそらく財務省の官僚の方々は手記の全文を読んでも何が悪いのかピンと来ないだろうが、意図が行為を正当化するわけではない。津久井やまゆり事件の植松被告だって意図としては世の中をよくしたい一心だったではないか。日本をよくしたい一心で日夜働いている財務官僚が意図の崇高の無意識的こじつけに陥っていなければ幸いである。


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●新型コロナウイルスの影響で学校は休みだそうで、あるお宅には都会から孫が疎開して来ているとのことで、連日子守に余念がない。本当に戦時中だ。われわれも丸8ヵ月かけて準備してきて開催を1ヵ月後にひかえた法要を1年延期するという決断をしたばかりだ。

●それは住職継職奉告法要という一生に一度しかない特殊な慶讃法要で、気持ちが盛り上がっているので手洗い・マスクなどの充分な対策をして決行する気になっていたが、冷静に考えると、多くのご高齢の方が広くもない本堂に数十人規模で蝟集し、気温によっては暖房をつけて密閉しなければならないのだから、そんなものがこの時期にできるわけがなかった。幸い今まで準備してきた記念品や幕などは延期しても全部そのまま使えるし、誰も経済的に打撃をこうむるわけではないので、前向きな延期だと捉えている。

●この法要をするにあたっては実行委員会を結成し、すべての権限を持たせたが、実働部隊としては私があらゆることをやっていた。そのうちの一つに寺の沿革誌のような冊子を作って出版するということが挙げられる。最終的にA5サイズ中綴じ本文28ページ1色+表紙4色PP貼りとなったが、これで各種のネット印刷を調べると、150部で用紙も豊富に選べて約46,000円というG社と、500部からで約53,000円というR社の2つが安くて品質も悪くなさそうだった。品質は公式サイトの匂いで推定する。私はもと製版屋なのでそういう勘は働く。裏方に徹し、著者名義は実行委員会にして、私は造本設計・装幀・編集・組版・製版のクレジットに自分の名前を入れようと思う。

●縦書きの書籍を作るときに一つの理想型としていつも思うのは佐藤正彰の『ボードレール雑話』である。1974年の読売文学賞受賞作で、神保町をくまなく探せばいつなんどきでも一冊は見つかると思う。この香気漂う名文にふさわしい文字組と版ヅラを眺めると陶然とする。ちょっと変型で、正方形とまではいかないが、一般的な書籍の縦横比と較べて横が長く、それがえも言われぬバランスを醸し出している。この端正な書体は何だろうか。装幀者は栃折久美子。

●製版屋時代の話は以前別のところに書いたことがあるが、この佐藤正彰の名著のことが頭にあったので、タイトルを拝借してもじった「DTP雑話」というブログを立ち上げて会社の勝手に作った公式サイトへリンクし、仕事の中で感じたことや得た知識などを共有しようと試みた。そういう時代だったのだ。しかし3エントリしか続かず、そのまま忘れてしまった。今、久し振りに思い出して検索してみたら、驚いたことにまだあった。開設は奇しくもちょうど15年前。期せずしてSTORYS.JPの長文への補足になっている。


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