●管さんの弔辞はよかった。「国葬」の翌日の新聞の朝刊に全文が載っていた。真情が溢れていて、このゴタゴタの中、反対者に対しても強く訴えるものを持っていたと思う。それで普段あまりしないツイートというものをした。あまりにもいい弔辞だったので逆に作為を感じるのだが、そんなものを相殺するほどの真情だったという内容だ。われながらひねくれている。
●政治家が自分の書いた文章を世の中に発表する前に、別の目に閲読させるのは自然なことだし、閲読した者はした者で、この文章の訴求力にすぐ気づいただろうから、これだけ世論の反対の多い政権としては、これを利用してイメージアップを図ろうとするのは当然だ。私の憶測では、もとは料亭だった箇所を焼き鳥屋に直し、庶民に縁遠い感じをなくす。あとはひょっとしたら若い世代が多く弔問に訪れたことを強く印象づけるような手直しがなされたかもしれない。もちろんこれは無責任な放言であって何の確証もない。しいて言えば私の編集者としての文章に対する感覚だけが根拠だ。
●今、こんなことを書いているが、いまだに「国葬」の動画は見ていない。とくに見る気もない。反対というほどの気持ちもない。16億円かかったと言って反対している人もいるようだが、私は16億円という額がこの場合どの程度のものなのかサッパリわからないので何とも言えない。政権与党だったらそのぐらいの税金は日常的に使っていそうな気もするが、どうなんだろうか。
●伝統の裏付けがなく、宗教儀礼の出る幕もない「国葬」が諸外国にどんなに薄っぺらなものに見えるか、それだけは気がかりでないこともない。日本という国のアドバンテージはそういう点にしかないのではなかったか。
(金川信亮)